二階俊博○週刊新潮03年2月13日号より引用

日本中に「江沢民石碑」を建てる「二階俊博」はどこの国の政治家か!

事あるたびに日本批判を繰り返し、天皇陛下の前で非礼きわまりない挨拶をやらかしたこともある江沢民国家主席。最近のの日中関係が険悪なのも、この人が張本人といっても過言ではない。ところが、よりにもよって、その江沢民の石碑を「日本中に建てる」とうそぶく与党政治家がいる。保守新党の二階俊博幹事長がその人だ。

和歌山県の沿岸中央部に位置する田辺市は、黒潮に面した土地柄のせいか一年を通じて温暖な町。梅干しの生産と漁業が中心という、この田辺市に、突然、江沢民氏の石碑建立計画が持ち上がったのは、昨年のことである。「昨年8月に和歌山県日中友好交流推進協議会という団体から石碑建立の依頼が来たのです」というのは田辺市役所の経済部経済課である。「建設費は市の商工会や観光協会などが負担してくれるというのです。市長の許可も出たので、中国から石材が届くのを待って、今年3月末までに市内の新庄総合公園に建設することにしました。和歌山県は中国の山東省と姉妹都市関係だし、市としては、これからの国際観光と、中国の皆さんとの交流を深めたい。これをきっかけに、南紀白浜空港に、中国からチャーター便を誘致したいとも考えています」(同)市側は懸命に理由をこじつけるのだが、実は『和歌山県日中友好交流推進協議会』というのは表向きで、本当の「仕掛人」は地元選出の二階俊博代議士だったのである。

脇中孝・田辺市長が言う。「記念碑の建立に関しては昨年秋ごろ、二階俊博先生と木村良樹・和歌山県知事から直接電話で頼まれたのです。とくに二階先生は熱心で建設費用は寄付で賄う。新庄総合公園はどうだろう″とおっしやってくれました。私としては市民の財政負担にならないのなら公園の一角を提供することに異存はありませんでした」その石碑というのは中国山東省の石で作られ、高さ約4メートルという大きなもの。正式には『日中国交正常化30周年記念碑』といい、江沢民氏が書いた「登高望遠睦隣友好」という書と、江氏の「重要講話」なるものが中国語で刻まれる。

だが、当然ながら、この計画が明らかになると、さっそく議会から異論反論の声があがった。「我々がこの計画を知ったのは、昨年12月中旬になってからなのです。当初、市側は委員会にも報告せず、市長権限でこつそり建立を進めようとしていた。ところが、建設委員会で委員長が大事なことだから公表するべきだと要求して、ようやく明らかになったのです。委員会では江沢民氏は反日教育推進の張本人なのになぜ建立しなくてはならないのか″とかなぜ田辺市に作るのかプロセスが不透明だ″という意見が続出しましたが、市側は強引に建設を決めてしまったんですよ」(ある市議会議員)石碑建立のニュースは新聞でも報じられ、市民からも疑問の声が上がったが」なかでも激しく反対したのは地元の遺族会関係者らが作る「紀伊まほろばの会」という団体だ。その副会長の廣瀬宗一氏が言う。「市は江沢民氏がどんな人物か知って石碑を建立しょうとしているのでしょうか。江氏は首相の靖国参拝をやめろと要求したり、たびたび反日的な発言をするような人物で、本当に両国の友好を願っているのか疑いたくなります」廣瀬氏が言うように江沢民氏といえば、事あるごとに日本の歴史批判を繰り広げてきた人物だ。

「江沢民氏が平成10年11月の訪日の際、宮中晩餐会に異例の中山服で出席し、天皇を前に日本軍国主義は中国人民とアジアのほかの国々の人民に大きな災難をもたらした″と言ってのけた事件は有名です。江氏は、訪日の間、5回も歴史認識″という発言を繰り返し、これを見た日本人は中国に対する親近感が一気に冷めてしまったのです」(外交評論家の田久保忠衛氏)江沢民氏はその後も反日発言を続け、国内の不満解消や巨額・の円借款を引き出すカードに利用してきたが、その結果、日中関係に抜きがたいシコリを作ってしまったといわれる。「歴代の中国指導者のなかで、最も反日的な江沢民氏の石碑をわざわざ見たい人がどこにいるんですかね」(前出の市議)

野中広務の後継者

それにしても二階氏の石碑にかける熱心さはどうだろう。それだけではない。田辺市だけでも大変な騒動になっているのに、二階氏は日本全国に作ろうとしているのである。実は、この石碑建立計画、もともと平成12年5月に『日中文化交流使節団』なる5000人の日本人団体が中国人民大会堂を訪れた際、江沢民氏が話した「講話」を記念して建立しょうと企画されたものだった。使節団の団長は日本画家の平山郁夫氏だが、事実上率いていたのは、使節団の顧問で当時運輸大臣だった二階代議士である。「講話の内容は、歴史問題にさらりと触れる程度でしたが、その様子はまさに朝貢外交の使節団そのものでした。江沢民氏も5000人もの日本人を集めた二階氏の手腕を高く評価したそうです。二階氏は竹下登元首相に大変可愛がられていた政治家で、竹下的な根回しや政治手法を最もよく引き継いでいるともいえます。今は他党に所属していますが、中国に関しては野中広務氏の後継者とみて間違いありません」(政治部記者)二階氏は、この訪問のあと、さっそく江沢民氏に重要講話の記念碑を作ることを提案し直筆の書を依頼している。そして昨年夏には、ご丁寧にも東京のホテルで武大偉大使や観光大臣の立会いのもとで、その授与式まで開いているのだ。保守新党の機関紙を見ると、二階氏はこの様子を嬉しそうに語っている。

「この中国側のご配慮にふさわしい記念碑を日本の数カ所に建立する予定です。早速、木村(和歌山県)知事から、中国とのゆかりの深い本県にも適当な場所を選んで建立してはどうかとのご提案を頂いております。新東京国際空港公団、・新築される束京駅、青森県、福岡県、大阪府等から希望の申し出を頂いております」大変な鼻息だが、そこで二階代議士ご当人の弁。「田辺市以外の5カ所からは確かに申し出があったけど、まだ決まったわけじゃありません。そもそも江沢民主席の重要講話というのは、そう簡単に出るものじやないんです。それで使節団の関係者が感動して形にしようと考えているだけ。江沢民主席のことをあれこれ言う人もいるけど、この講話は、江主席が日本の歴史認認を方向転換したという意味でも重要なんですよ。だから、いまさら石碑についてあれこれ言うのは中国に対する礼儀を欠くことになるよ−以上引用終わり

この二階というひとはどこの国の政治家なのであろうか。きっと、支那か朝鮮の政治家なのでしょう。このような売国奴が国政に携っているとは驚くべきことです。こいつに聞きたい。北朝鮮とはいわない、南朝鮮でも、支那ででもいいから、天皇陛下のお言葉の石碑を建てられるかどうかを。

ちなみにその石碑のイメージ画像だそうです。

その後のニュースでは、この支那の走狗二階が計画していた田辺市の新庄総合公園に、建てる予定だった江沢民の揮毫と講話を中国語で刻んだ「日中国交正常化30周年記念碑」について、木村良樹和歌山県知事は「計画は白紙に戻す」と表明し中止になったそうです。これにより「日中友好交流推進協議会」は同協議会は解散、集めた資金は返納されることになったそうですので、めでたいことです。




やはり売国奴の二階俊博...平成17年12月19日の産経新聞は主張と題して下記のような文章を掲載したことがあった。以下引用 「不安材料は、この問題を外務省とともに担当する経済産業省の大臣が、先の内閣改造で中川昭一氏から二階俊博氏に代わったことだ。中川氏は中国に一貫した姿勢を示してきたが、二階氏はどちらかというと中国との友好を優先してきた政治家である。日本の海洋権益の確保は国益そのものである。ガス田問題では、安易に譲歩しない対中外交を堅持すべきだ」引用終わり

そしてこの不安材料が現実となった事を我国国民は知らされる事となった。平成18年1月15日産経新聞 以下引用「二階俊博経済産業相は十四日、東シナ海のガス田開発について、「国内には試掘をやったらいいと、元気のよい発言をする人もいるが、私はその道は取らない。中国側と粘り強く交渉しなければならない」と述べ、試掘に慎重な考えを示した。和歌山県日高町で開かれた、住民との意見交換会「一日経済産業省」で発言した。二階氏は「(中国側と)いきなり衝突しようとしても、ことは解決しない。双方がお互いのためになるように考えながら進めるのが話し合いの基本」などとし、今後も中国側と協議を進めていく考えを明らかにした。経産省は昨年七月、日中中間線付近で進める日本側海域での試掘権を帝国石油に付与したが、共同開発などについて日中の政府間協議が続けられており、試掘には着手していない」引用終わり

この何処の国の政治家か判らない人物が大臣を務めている恐ろしさは計り知れないものです。