文学の径の句碑より
『のどかさや
小山つづきに塔二つ』 子規
この句は、日清戦争時に、正岡 子規が日本新聞の従軍記者として尾道を通過したときの作と言われています。ここでの「塔二つ」は浄土寺の多宝塔と西国寺の三重の塔を眺めたものでしょう。尾道にまったく相応しい「のどかさや」が今回騒動の亀井静香、掘江貴文のご両人によって損われることがないように祈っています。 |
小学生低学年の頃、夏休みになると母に連れられて、祖父母の住む尾道に一ヶ月程滞在するのが慣しで、それは学校を気にせず、近所の友達と遊びたい自分にとっては、博多駅から約10時間の蒸気機関車を乗り継ぐ、あまり気乗りがしない旅だった。朝鮮釜山からの引揚者であった祖父母が住む、猫の額ほどの敷地に建つ居宅は、本土より数百メートル幅の尾道水道に隔てられた対岸の向島にあり、そこへ行くには駅に隣接した船着場から渡船に乗るより他はなかった。急流に流されながら10分程の船旅を経て渡し場を降りると、左手に大きな造船所のクレーンを見て、何ともいえない匂いを放つ澱粉工場に面する両脇に夏草が生茂ったでこぼこの細い道を歩き、約10分ほどで到着した。荷を解く間もなく煤まみれの顔と体を五右衛門風呂で洗い流すのであるが、その釜は鉄の全部が灼熱しているように思えて恐ろしかった。祖父はいっも不機嫌で、こども心にあまり近づきたくない感じがした。今にして思えば、治安警察の下級官吏ではあったが、外地での安定した暮らしと今の境遇に忸怩たる思いがあったのであろう。それに反して祖母は満面の笑みと心づくしの歓迎の宴で我々を迎えてくれた。数年前に尾道と向島を訪ねた事があるが、景観そのものはあまり変わっていないように感じた。多分、平地が僅かばかりしかない当地の地理的条件が幸いしたのであろう。話は変わるが、今回の刺客騒動の掘江貴文氏が、六本木からご当地に住民登録を移すそうである。観光都市尾道市としては街の宣伝と地方税増収で歓迎だとは思う。ただ、この街のイメージと同氏のそれがしっくりこないと感じるは、小生のノスタルジアが原因であろうか、名画「東京物語」を生んだ、この街の時間が止まったままでいて欲しいと勝手に願っている。 |