なんとも残酷で酷い差別的表現と捉えられる方も多いのではないかと思いますが「盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。マタイ伝15-14」をモティーフにしたと言われるこの絵画は心の目が見えない人達は、後ろに見える尖塔を頂く教会(救済)に辿り着くことはおろか、穴に落ちてしまうと言う寓意を孕んでいると説明を受ければ納得いただけるでしょうか。 |
「盲人のアレゴリー」ブリューゲルの有名なこの絵を見て皆さんはどうお感じになるでしょうか?図像学にいくらかの知識を持っている人なら、この絵画を差別的とは見て取らない、一方、単純に盲人を揶揄するごとき構図に不快を感じる人、滑稽に感じる人それぞれです。昨日、紹介したフランスの喜劇についても感じ方は様々でしょう、劇作家マルセル・パニョルは「自然界には笑いの源泉はない。喜劇的なものの源泉は笑い手のなかにある」と喝破しています。笑いを差別と置き換えても同じ事です。閾値(いきち)と言う言葉がありますが、これは例えば砂糖水の濃度を段階的に変えて、複数の治験者に与えると、ある者は砂糖1gの水溶液で明敏に甘さを感じ、ある者は5gでも甘さを感じない、この事から味覚を識別する器官である味蕾は人それぞれの閾を持っていることが実験的に理解できます。何故そうなのかについてはここでは述べませんが、翻って人権擁護法とは、この味蕾のように人それぞれ違う感受性を無視したありもしない絶対基準(砂糖が僅かでも入っていれば甘いと言った決め付け)を基に言論統制がなされる危険性を孕んでいるから小生は絶対反対なのです。 |